今日のネタは決まっていたのだが、信じられない再会があったので急遽差し替えです!朝から船橋でジャズピアノのセミナー3回目。ひと月に1回でいつもなら、4週間課題をこなす猶予があるのに、今月は前回から2週間しか間がなく、やるにはやったが、きちんと覚えるまではなぁ

。の出来で朝も支度をしてからバス

の時間まで弾いたりしたが、付け焼刃は、やはりだめよね・・・。で、「次回までに弾いてきてね、覚えてきてね」と言われる。他の5人のメンバーさんも、完璧!ではなかったのでほっとしたのだが、次回は9月なので、「いくらなんでも、やってきたよね?」の視線を受けるに決まっているので、わかってますよ、夏休みにちゃんとやりますから・・・。
毎回、この講座は熱心な先生で時間通りには終わらず、この後予定のある私は、いつもヤキモキして、終わると飛び出して帰る。今日はいつもより5分以上超過していたので、速足もピッチがあがっていた。外に出ると後ろから「中村カコちゃん!」という声。何?誰?講座のメンバーさんは自己紹介していないし・・・。と振り返ると、「すっごく、急いでるみたいだから、連絡先だけ教えて!」と

を差し出したのは、音信不通になっていた短大時代の親友。卒業後の勤め先の音楽教室で仲良くなり、結婚後、住居も私が彼女の隣の駅に越してきたりして、子育て中も子供の年も近かったので繁栄に行き来をして、あてんぽの発表会にも初回に出てもらい、20代、30代初めとずいぶん助けて貰った。本当に大切な一生の友と思っていたのに、彼女の生活が大きく変化してしまい、私にも説明したくないほどの心の傷を負ったのであろう彼女とは、今日まで14年、私が連絡しても、音信不通となってしまった。
「義理人情に厚い」と私は自分の事を言いふらしてはいるが、受け取る側の都合からしてみれば、一歩間違えばストーカーか!というようなふるまいもあったのでは・・と当時を思い返して何度も悔やんだ事もあり、それでも、最後の手紙には「又、きっと、会える日が必ず来るって思ってるから」と書いたことは忘れていない。
その「いつか」が来た!振り返ったとき「なんで、ここにいるのよ!」「なんで私だってわかったのよ!」と、当時と同じような、高飛車なものいいしかできなかった私。「だって、全然、変わってないじゃない!」といわれ「あんたも変わってないよ。ああ、どうしよう緊張して、プロフィールの出し方わからない!赤外線どうやるんだ!」と完全にテンパってる二人。「書く!」

とかいって彼女がペンを出すので「やだ、名刺あるよ。絶対、今日中、必ずだからね!連絡頂戴よ。」と叫んで別れた。その後も「なんて事・・・」とドキドキが止まらず、電車の中で彼女からメールが来たけれど「

だけど、泣きそうだよ」って返信したらあとで、「私も道歩きながら泣きそうになったよ。神様が会わせてくれたんだね」って返事。
本当に泣いてしまった私

。会えるとき15年たって、やっときたんだね。
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