いつも朝日の求人欄の「仕事力」というコラムは「そうよね~

」という内容が多く、つい切り抜く。
中国語講師を経て作家になったヤンイーさん。
23年前来日した時は日本語が一つもわからず、日本語学校でも、寝てばかり。
それでも、日本人同士の会話の内容が知りたくて、「えー?何?」といつも聞いて単語を覚え、電車の中もおしゃべりしてる人のそばに張り付いて、センテンスを覚えた。
自分からもどんどん話しかけて、知ってる単語をぶつ切りでも、相手がわかってくれるのが達成感となった。外国語を習得するときは、恥ずかしさを素直に受け止めて、知る喜びを味わえばいい。
中国語教師になった時、優秀な日本人ビジネスマンに中国語を教えたのだが、赴任のプレッシャーと義務感で、ただ「中国語を習ってこい」と命じられただけなので、脳が拒否反応を起こし、簡単な言葉を何回言わせても覚えられない。
興味のないことを「勉強しなければ」「何とかしなければ」というのは頭で、そう考えても吸収できない。人間は知恵もあるし、学びもし、プライドもあるけれど、それがこれから伸びていくには大きな障害となっている。
自分は人間じゃなく、猿や犬だと考え、バナナは栄養があるから食べるではなく、
美味しいから食べたいという素直な気持ち。それを大切に生きる。
求められている自分の姿に縛られて、義務感だけで進もうとすると人の目も気になる。世間とか人の目なんて一時的で無責任なもの。大切なのはあなたの充実感や好奇心。それが仕事も学習も、人間関係も楽しくしてくれる。
「こうあるべき」信者はそこ止まりになる。
終わりの3行を読んで、1年半ぐらい前、友人mにメールで同じような事をいわれたのを思い出した。仕事がうまくいかなくなってきて、愚痴をこぼした私に、「まだまだ、それでも貴女は恵まれてる方なんだな。でも、そろそろ私たちも ~すべきというのから脱却していいんじゃないの?」という文だった。
その時は半分ぐらいしか意味が分からなかった。
今は、よくわかる。最近何度も「何が起こるかわからない人生、それでも楽しもうと思ったら、あるがままを受け入れて突き進むしかないよ」と言ったりしている私は「こうあるべき信者」から脱却の最中だ。
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