5月号を昨日、作成し(アップはまだです。今しばらくお待ちを

)
特集にも書いたのだが、「復興ののろしプロジェクト」で皆さんも検索してね。
岩手で市民の復興への姿を撮影し、力強いコピーを入れ、ポスターが作成された。
そこには、がれきの前で「心まで壊されてたまるか!」と青年のすくっと立つ姿。
撤去作業のクレーンの前の4人衆のポスターの文字は「被災地じゃねえ。正念場だ」、がれきの前の家族「がれきを踏み台にするさ」、公民館の前で大勢の住民「そして絆は家族になった」etc・・。
これらのポスターの横には「一緒に悲しむ事よりも、あなたの仕事を一生懸命してください。それが沿岸を岩手を元気にする力になると思うから」とある。
どこか他人事、所詮無力な私・・・と嘆くのも、可哀想に・・と同情するのも、実は1番簡単。
「どんなに親しくても、人の痛みは代わってあげられないのだから自分の事のように、悲しいんではいけない。」
私は、5年ほど前、あてんぽ司会者邦さんの悲しみを、「私が何とか!」ともがき、それを友人mに「佳津子さんは優しいから気をつけな」という言葉と共に「どんなに・・・」のフレーズを送られた。
その時はよく呑み込めなかったのだが、生徒さんの悩みを全て受け止めてしまう役割のような、仕事の状態になり、はたと気づいた。
「私の仕事はなあに?」と。それからは邦さんにも「目の前の事をとにかく、精一杯やろう。そうすればおのずと道は開ける

」と言い続け、特別にお話しの時間をとっていた仕事も「ピアノを習いに来ている生徒さん」と、当たり前の状態に戻した。
今の被災地の復興にかける皆さんも、誰が自粛してって頼んだの?と思っているに違いない。
だから、代わってあげられない事は嘆かない、勿論、これまで通り、いえいえ、できればこれまで以上に仕事はちゃんとやるんだから。
PR